永禄六年(1563年)十月 豊後国 府内
聞こえてくるのは鍬の音。
大量の土が運ばれ、土手として生まれ変わろうとしていた。
その総指揮をとっていたのが大友義鎮。
彼はこの府内を西国第一の城下町にする夢に取り付かれていた。
娘の珠が提示した府内大改造計画はいままでの築城とはまったく違う発想によって作られていた。
大分川に堤防を築き、その堤防を持って外敵に当たり町を完全に取り囲む所。
これにより、食料が尽きぬ限り長期の篭城での士気が大幅に下がる事はなくなり、町衆も自発的に城を守る兵として数えられるようになった。
次に鉄砲を防衛兵器として採用する前提での城の縄張り作り。
各所に鉄砲を撃つ為の櫓や狭間が用意され、実際の防御は、新築する上原館(21世紀地名大分市上野・上野丘)の大規模城郭建築によって大幅に強化される事になる。
ここが本丸になり、現在の大友館とその施設を二の丸として再定義。
大分川堤防とその内側の府内の町が三の丸扱いとなっていた。
その為、街の一部を古国府(もちろん空堀と土塀で府内城郭に組み込まれている)に移し、空いた土地で港を拡張する。
府内に来航する船は常に途切れず、数年続く豊作のお陰もあって府内の人口は一万を超えようとしていた。
この時期、これだけの規模で町まで含んだ大規模城郭を持っているのは北条家の小田原城ぐらいしかないだろう。
城の縄張りにも特徴があった。
大分川が天然の堀の役割をはたす為、攻城軍は南と東からは攻めきれない。
で、西から迂回するしかないのだが、堤防が続く大分川のくびれ(21世紀地名大分市畑中)に出城が築かれ、その出白の形から三日月丸と命名される。
かくして、西から迂回した攻城軍は本丸・三日月丸・大分川堤防から鉄砲でふるぼっこという状況に陥る。
そして篭城の総指揮および、攻城軍を吸引する本丸は空堀と土壁・櫓に小高い丘の上丸ごと使われた城郭に阻まれ、その総指揮を取る為に四層五階の「天守」という巨大櫓が建造される事になった。
既に工事開始から一年。
大分川堤防の工事は延々と続けられているが、本丸の縄張りは終わり天守建造工事が始まっていた。
「西国一の城になりますな」
工事の視察をしている義鎮に付いて来た角隈石宗がその発想に目を見張る。
「攻め手を誘導し、三方からの鉄砲による同時攻撃で屠る。
しかも敵は渡河しての城攻め。
この城そのものが罠となりましょう」
大友家の軍師として多くの戦に出て功績もある角隈石宗に娘が褒められて、父として義鎮は素直に嬉しかった。
「この城が落ちる場合はどんなのが考えられる?」
義鎮が問うと考えていたのだろう。角隈石宗は間をおかずに口を開く。
「まず、人ですな。
最低でも五千の兵を確保せねば、この罠は機能しませぬ。
かえって、城の広さゆえに兵が少なければ落城する事になるでしょう」
五千の兵が動員できないぐらい追い詰められたらその時点で落城という意味合いを含ませて、角隈石宗は続きを口にする。
「次は海ですな。
姫様の案では海側にも堤防を作る事になりますが、完成するのは三十年後です。
敵はそれまで待たないでしょう。
水軍衆は必ず手放す事無いように心がけてくだされ」
水軍、つまり毛利の強襲を示唆してみせたのは義鎮も理解したらしく、無言で頷いた事に角隈石宗は満足し、更に口を開く。
「可能性として一番ありうるのが、兵糧攻めですな。
府内の町を抱えているので、兵糧の減りは恐ろしいほど速いでしょう。
これも水軍を押さえて兵糧が運びこめるなら問題は無いでしょうが」
完璧な城など存在しない。
だが、欠点を提示されても義鎮は珠の案の不備とは思わなかった。
逆に言えば、常に良き統治を心がけ、兵も水兵も動員できるのならば落ちないとお墨付きをもらったようなものだから。
「気になったが、水軍を含め北の防備が弱くないか?」
義鎮の疑問に角隈石宗は今までで一番厳しい顔をして、その答えを告げた。
「北と水軍についてはこの城で守る必要が無いからでしょう。
珠姫様が豊前に、宇佐にいる限り、毛利は北から攻める事はできませぬ」
その言葉を聞いて、義鎮の顔が歪むのを角隈石宗はただ見ている事しかできなかった。
「毛利との和議の話ですな」
角隈石宗はこの為に呼ばれたのだという確信を持って、それを口にだす。
「向こうはよほど珠に執着しているらしい。
婿養子が駄目ならこちらにて現状同じだけの領土を珠姫に与えるまで言ってきた」
「それはそれは……」
義鎮の顔にも苦渋の色が浮かび、あまりに高い評価に角隈石宗も怪訝な顔をする。
尼子の新宮党しかり、陶の江良房栄しかり。
大友の珠姫しかりなどと呼ばれるような事態は避けねばならなかった。
「毛利が今、内部で揉めている。
幕府や朝廷は良い機会と取らえているが、珠姫については毛利はまったく譲る気はないらしい」
毛利内部の騒動というのが、前月に起こった毛利隆元暗殺である。
尼子出兵に向かっていた毛利隆元が、備後の和智誠春からの饗応の後急死。
それを暗殺と判断した毛利元就は、和智誠春・新三郎・湯谷又八郎・又左衛門・赤川元保らを暗殺の疑いで誅伐、もしくは切腹に追い込んだのだった。
それにより空いた毛利本家の家督は隆元の嫡男・輝元が継いだが、毛利家中の動揺は激しく尼子攻めすら途中で打ち切ったほどだった。
なお、義鎮はこの一件が発覚後珠を呼び出し、事の次第を尋ねている。
「殺っていません。
それに、殺った後の元就公の報復を考えた事がありますか?
それを考えたら恐ろしくて手など出せませんとも」
本気で身震いする珠の姿を見て娘の潔白を信じたのだったが、その娘が毛利家に対して弔辞を送ったと聞いて疑念が湧く。
娘は手を出してはないが、隆元が殺されるのを知っていたのではないか?
と。
事実、珠がこれに乗じて打った手は速過ぎた。
尼子はこの隆元死亡を知る前に反撃に転じ、毛利総退却後に三刀屋城を奪還している。
更に、珠は大友に反抗的だった筑前筑紫氏を内部分裂させ、家中に筑紫惟門を隠居させ監禁。
息子広門に家を継がせた後に旧領を回復させるという離れ業をやってのけたのだ。
秋月に次いで筑紫も粛清され、筑前の大友支配力は更に強化されたのだった。
と、同時に大友の巫女姫の名前は九州はおろか西国に轟き、それがまた義鎮を苦しめる。
功績高すぎる将というのは、大名にとって粛清の対象である。
それをしなければ逆にいつ自分が殺されるか分からないからだ。
実際、筑前を支配していた大内義隆は重臣の陶晴賢に殺されている。
「あれが男なら、わしはどんなに嬉しかったか……」
最近の義鎮の口癖は既に大友家中の口癖になろうとしていた。
そんな義鎮を見て角隈石宗は唐突に理解する。
珠姫が大金を投じた府内大工事は彼女が謀反を起こさないという暗黙のアピールなのだという事を。
なんて悲しいのだろう。
まだ子供なのに自分が疎まれ、下手すれば殺されかねない事を知っている。
なんて哀れなのだろう。
それでも、姫は父を、大友の家を慕っている。
「何か手は無いか考えてくれ」
「かしこまりました。殿」
二人は供を連れて館に戻る。
そこで珠と長寿丸がダイウス堂ケントク寺にて遊んでいる事を伝えられたのだった。
府内におけるキリスト教の教会で宇佐の巫女が出向くという矛盾に、二人は怪訝に思いながら行くとそこから歌声が聞こえてきたのだった。
「♪ Ave Maria, gratia plena,……」
教会にいた誰もが我を忘れていた。
その姿を見た義鎮と角隈石宗も固まって動けない。
巫女服のままアカペラのラテン語で聖母マリアへの祈祷を謳う珠姫の姿はあまりに美しく、その幼い歌声に長寿丸は意味も分からず嬉しそうに笑い、周りにいた信者は皆、珠姫に向かって祈りを捧げていたのだった。
珠姫が歌いながら、二人を見つけて天使のように微笑む。
それは父へ捧げられた歌だという事を義鎮は分かった。分かってしまったのだった。
彼女が寺社の立場でキリスト教を容認するというメッセージでもあったのだから。
だからこそ、義鎮の心に新たな闇が生まれた。
その闇は、父と同じ事を自分がする夢。
あまりに有能すぎる珠を自ら殺す夢だった。
なお、この瞬間に豊後におけるキリスト教信仰はマリア信仰に摩り替わり、珠姫がマリアの化身と日本人に崇められる事になる。
それは布教に来ていたキリスト教にとってとうてい容認できない事態でもあったらしく、後に宣教師の報告書にはこの日の事をこう書かれたと伝えられている。
「私は、リリスにであった」
と。
お元気ですか?
宇佐で巫女をやっている珠です。
レイニー止めの間に色々教会で調べたので、これぐらいは歌えるのですよ。
無宗教日本万歳。
って、今回出番これだけ???